子どもと本
*子どもと本についてのおはなし*
note「子ども時代に出合う本」
家庭文庫との出会い
【2001年に「シンガポール・ポプラ文庫」のサイトに書いた記事より】
自宅で家庭文庫を開くようになって8年になります。(2001年時点で)実はポプラ文庫は26年の歴史があります。(杉並区で続くポプラ文庫は2014年に40周年を迎えました)我家に移ってくる前は先輩のおかあさんたちがそれぞれのお子さんや地域のこども達のために活動していました。わたしは三代目なのです。
ブルーナーの「うさこちゃん」や「くまのプーさん」の翻訳や、「ノンちゃん雲に乗る」の創作で知られる石井桃子さんが自宅で開いた家庭文庫やおなじく児童文学者で現在「東京こども図書館」の理事長の松岡享子さんの家庭文庫など1960年代から70年にかけて、よい本をこどもたちにという願いをこめてこうした文庫の活動が 始まりました。
わたしが文庫のことを知ったのは児童教育学科の学生のころ。かれこれ20年以上 前のことです。石井桃子さんや松岡享子さんの文庫が母体となって1974年に設立された「東京こども図書館」の活動を授業で学び、そこが出版している「おはなしの ろうそく」でおはなしについても学んだ時に遡ります。
そのころからいつかわたしも家庭文庫を開きたいという漠然とした願いを持ちつづけていました。結婚して豊中、香港と転居し、9年前に東京杉並に引っ越した時、はじめてそのチャンスに出会いました。杉並にはたくさんの家庭文庫が1970年代に誕生し、活動を続けていたのです。
文庫は出会いの場です。絵本と子ども、おかあさん。活動を続けるなかでの一番の収穫はそうした出会いでした。そうした出会いがこの8年間わたしを育ててくれたと思 います。
ポプラ文庫の歴史
【1994年から私が関わってきたポプラ文庫の歴史について、シンガポール駐在中の2001年に記した文章です。】
ポプラ文庫は、1974年秋に東京杉並区に産声をあげました。まだ区内の図書館の数が少ない頃で、子ども達に良書を身近な場所で提供したいと願う森田菊枝さんが当時幼稚園児だった息子さんのお友達のお母さま方と下井草で始められた地域文庫で す。
その後区内の文庫が連絡会を作り、区に陳情・請願をするなど区に働きかけて図書館 地域・家庭文庫育成の制度ができ、その助成を受けながら下井草出張所にて活動が、 途中主宰者が足立雅子さんに代わるなど世代交替を経て1994年春まで続けられま した。 ところが出張所移転に伴い、その場所が利用できなるために閉鎖されることになりま した。
そこへ、1989年から香港・東京と場所を移しながらも自宅で「プレイルーム」&「絵本の会」の活動を続けてきた若葉(神保)と文庫スタッフが児童館の母親クラブを通して出会い、家庭文庫として引継ぐことになりました。井草の若葉宅でポプラ文庫が再開したのは1994年5月で した。若葉にとっても自宅での絵本読み聞かせの際に「その絵本を貸して欲しい」と いう希望があっても我が子たちがお気に入りの本ばかりで貸出しをすることが出来なかったので、この申し出はまさに「渡りに舟」でした。 その後ポプラ文庫は毎回30人以上の幼児・小学生が出入りする絵本や児童書との出会いの場を提供してきました。家庭文庫の特徴を生かして、母親同士のブックトークをしたり、子育てについて互いに情報を交換し、支援しあう場へと活動が盛り上がっ ていきました。
ところが1998年11月に若葉の夫が転勤でシンガポールに赴任することになりま した。2000冊を超える蔵書を誰が引継ぐのか思案している時に文庫連絡会のメン バーに相談をし、在外日本人の子ども達に絵本・児童書との出会いを提供できるので あれば...ということで、シンガポールに本を持って出ることを後押ししていただき、 図書館からも貸与期間の終わった古い本の持ち出しを承認していただきました。井草の地での若葉家での文庫は家族が引越をする前の1999年2月までつづけられまし た。
一方、絵本の読み聞かせを通して聞く力の育ってきた子ども達をこのままで終わらせ たくないというスタッフたちの熱意から「絵本の会」の存続を望む声があがり、隣接 する中野区上鷺宮地域センターにてみほママさん(HN)を中心に活動が続けられることになりまし た。(こちらの活動は、中心的なスタッフは世代交代しましたが、2017年現在も続いています。私の次女のママ友も、ずっと続いて関わっています。)
またシンガポールに持ち出せなかった本(区の助成を受けて2年以内の本など)を、ヤメピさん(HN)のマンションに引き取っていただき、助成を継続してスタッフと同じマンションに住む子ども達対象の文庫として井草の地で活動を続けていただくことになりました。
ヤメピさん宅での文庫が家庭の事情でできなくなった後、2001年度は同じマンションのタン樹林ママさん(HN)のお宅に移りました。それも今後は無理になり、2002年4月にはひこばえ幼稚園(杉並区井草にある手作り保育の園。園長先生はドイツ文学者でフェリス女学院院長でもある小塩節先生)のすぐ近くに移る予定です。
シンガポールでは、やはり自宅となったコンドミニアムのリビングにて ポプラ文庫の蔵書2000冊弱と若葉の個人本約1000冊とを開架して 1999年6月より活動を開始しました。開設の案内状は近所の方々に20枚配っただけでしたが、第1回目の6月2日の利用者は28組54人でした。日本の本が手に入りにくい海外で、また当地に進出している丸善や紀伊国屋書店で入手 できるものの国内の1.5倍から2倍近い値段 になることもあり、文庫の需要は高かったようで、口コミで文庫の存在がひろがり、 一年後の2000年6月の時点で登録者245名を数え、常時120人強の方々が本を借りていっています。(日本人が殆どですが、日本の絵本に興味をもつ現地、あるい は他国の駐在員の利用もあります。)
2001年12月時点では登録者数は500を超えました。のべ利用者は4600を越えています。
このポプラ文庫シンガポール分室はまた若葉の転勤があれば東京、あるいはさらに海 外に移転する可能性がありますが、井草のポプラ文庫と 連絡をとりあいながらどの地にあっても子ども達に良い絵本・児童書との出会いの場を提供しつづけたいと願っています。
幸せな出会いの日々
【2001年に「シンガポール・ポプラ文庫」のサイトに書いた記事より】
我家で家庭文庫を開催するようになって8年ちかくなります。もちろん、生活の場である家庭を開放して不特定多数の利用者をお迎えするするわけですから、大変なこともあります。家族を会社や学校に送り出してから、文庫モードに部屋をしつらえることからはじまって、蔵書の管理、貸出記録の整理、ニュースレターの発行など、子育てや家事と並行してこなしていくことは、きちんと時間管理をしていかないと家族の生活に支障をきたすことにもなります。
たとえば、文庫の日は子どもたちのオモチャは全部片付けておかないと後で大変なことになります。学校から帰ってきたらよそのお子さんが自分の大切なオモチャで遊んでいたらやっぱり子どもはショックです。準備には念を入れていても、あっという 間にオモチャをしまっているクローゼットを開けられてしまったりということはある のです。
そのような中で家族の理解と協力を得て、こうして文庫を続けてこられたのも、わたしも夫や子どもたちも絵本の魅力をじゅうぶんに知っているからでしょう。文庫をしているおかげ で、我家にはたくさんの絵本や児童書が溢れているわけです。こどもたちに「本を読みなさい」といってすすめたことは一度も無いのですが、いつのまにか本好きに育っています。勉強に疲れたら、絵本を開いてホッと一息つくのが何よりのストレス解消法だとか...
わたし自身は、やはり多くの方々と出会えることが文庫をしている魅力だと感じています。我が子とは違うお子さんたちと出会うことによって、子どもの心を客観的に 理解ができるようになったり、素敵なおかあさん方と絵本を介して子育ての情報を交換し会ったりと、自宅にいながらこんな素敵な出会いに恵まれるなんてなんて幸せ者なのでしょう!
また、文庫を開催する日にはわたしは妻でもなく母でもなく一人の女性として地域社会に関わっているのだという自覚が、専業主婦(この言葉は好きではありません が...)の日々に新鮮な風を送ってくれるのです。そのことは家族にとってもきっと良 いことだと思います。「あなた達のためにお母さんはこんなに尽くしているのよ」なんていう恨みめいた思いは無くなり、文庫おばさんをすることで家事や育児に対するストレスも感じずにいられるのですから。
そんなわけで、毎回違った出会いのある文庫活動はわたしのライフワークとしてこれからもずっとつづけたいなあ~と思います。
絵本は花束
【2001年に「シンガポール・ポプラ文庫」のサイトに書いた記事より】
結婚して、子どもが生まれてはじめて絵本を手にする若いおかあさんもきっと多い ことでしょう。子育ての中で絵本はどのような役割があるのでしょうか?絵本の魅 力ってなんでしょう? 私は「花束」にたとえてみました。「花束」を贈られたことがありますか?その時 どんな気持ちでしたか?花束を受け取った時、こころがなごみ、明るい光が射しこんでくるような気持ちになりませんでしたか?
「花束」は食べられません。「花束」は着ることもできません。子育ては衣食が優 先され、はじめての子育ての時は、それだけでも大変です。そんなときだからこそ絵本は子どものいる生活にうるおいとゆとりとやすらぎを与えてくれる美しい花束のよ うな存在です。なくても生活できますが、でもエンドレスな子育てにきっと素敵な時 間をもたらしてくれるものです。子どものこころに栄養を与えてくれます。それだけ でなく、忙しくて、また子どもが足枷になって自分の時間がとれないと嘆いているおかあさんにこころの休養を与えてくれるのです。
あなたも絵本からたくさんの美しい「花」を受けとってくださいね。あかちゃんが誕生すると親族や友人からたくさんの贈り物が届きましたよね。そのなかに絵本はありましたか? かわいらしいお洋服やおもちゃはたくさんあっても絵本を贈られることは少ないかも しれません。
もしすてきな絵本を贈ってくれたお友達がいたとしたら、その人は絵本からたくさ んの「花束」を受け取っている人です。手に優しい木のガラガラや色とりどりのオルゴールメリー、かわいらしいぬいぐるみたち、あかちゃんが生まれてすぐに必要なのはそんなおもちゃたちです。でもすぐに絵本が登場できる日がきますよ。
あかちゃんをベビーカーにのせてお散歩できるようになったら近くの図書館をたずねてみませんか?(もしちかくに絵本を専門に扱う本屋さんや、子ども達を対象に開いている家庭文庫や児童館があればいちばん良いのですが...そのような場所に住んで いるあなたはとても恵まれています。たくさん活用しましょう。全国に目をむけると みんながみんなそのような環境にはないでしょう。そうそうシンガポールでは、この ポプラ文庫シンガポール分室がその役割を担えればと願っています。)
自分が幼い頃読んだもらった絵本に再会できるかもしれません。色も絵も文章も洗 練された新進の絵本作家の絵本に出会うかもしれません。まずはおかあさんが絵本の 世界を楽しんでください。それが絵本とお子さんが出会う第一歩です。
読書のたのしみ
【2001年に「シンガポール・ポプラ文庫」のサイトに書いた記事より】
私の子どもの頃の思い出は、夜になるとみんながよく本を読んでいたことです。それはなぜかというと、テレビが無かったからなのですが・・・というと、エって思われる かもしれませんが、古いテレビが壊れた後、(記憶はさだかではありませんが)、2年くらいテレビが無かったと思います。でも実家は幼稚園だったので、園舎に行けば各教室にテレビがあるわけです。それこそ全部で8教室あるので、家族が別々のを見 たかったらそれぞれ別の部屋で見てました。しかし毎晩見にいっていたわけではな く、日曜日の「アタックナンバーワン」とか「ムーミン」とか・・・あ~これで年がばれちゃいますね。
そんなわけでたとえば秋から冬にかけてはひとつのこたつに足をつっこみながら母は編物をし、父と私達姉弟はそれぞれ本を読んでいました。もっと幼い頃は母が絵本や児童書を読んで聞かせてくれていましたが、弟が小学生になると各自で好きな本を読んでいました。ときどき読んでいる本の面白い場面で笑ったり、悲しい場面で涙を 流していたりすると、「どうした、どうした」と聞き合いになり、お互いが読んでい る本について話したりということもありました。
一年中暑いシンガポールでは、「こたつ」には縁の無い生活ですが、「読書の秋」 という言葉を聞くといつも思い出す情景です。こうして自分自身が中学生を筆頭に4人のこどもの母になり、あのころから30年くらい経つというのに鮮明に思い出すのは、それだけ幼い心に焼きついているからでしょう。「アンクル・トムの小屋」「赤 毛のアン」「若草物語」はそのころに読んだ本でした。父や母と交わした言葉さえもが鮮やかに蘇ります。
あのころとはテレビ事情が違います。だからどうしてもテレビをつけてしまうとい うお宅も多いでしょう。でもぜひテレビをつけない時間を大切にしてほしいと思うの です。作家の椎名誠さんが絵本について話された講演会で(クレヨンハウス主催)テレビが壊れたのを契機にテレビの無い生活をはじめたら、それまでいかにテレビに支 配されていたかがよくわかった、無い生活では家族がそれぞれに自分の時間を大切にできるし、家族の会話も豊かになったとおっしゃっていました。
幸いシンガポールでは日本の番組はNHKの海外向け衛星放送だけなので、テレビ 漬けになることはないのですが、日本にいるとやっぱり、テレビをつけっぱなしにし ていませんか?だからこそ、たまにはテレビのスイッチを切ってみてください。小さ いお子さんには寝る前のひととき、ゆったりとした気分で絵本を読んであげてくださ いね。
絵本を読み合う
【2001年に「シンガポール・ポプラ文庫」のサイトに書いた記事より】
絵本はぜひ声に出して読んで欲しいと思います。もちろん小さなお子さんにはおか あさんやおとうさんが、あるいはおばあちゃんやおじいちゃんが読んで聞かせてあげ ていらっしゃることでしょう。時には自分のために、本を声を出して読んでみません か?あるいはご夫婦で、親子で読み合ってみませんか? 私の生まれ育った山口県小野田市(現在は山陽小野田市)に、大学の教壇に立ちながら病院の小児病棟や老 人施設で「読書療法」に携わっている先輩がいます。彼女の著作のなかにこんな文章 がありました。
「人間の心の内側を占めている時間は、時計が規定する一日二十四時間の針の動き と異なり、ひきのばされたり、縮みこんだりする。『いつもちこくのおとこのこジョ ン・パトリック・ノーマンマクヘネシー』という絵本がある。主人公のジョンは、毎 朝、学校に向かう道の途中で事件に出くわす。それはワニであったり、ライオンで あったり、高潮であったりするのだが、それから逃れるために遅刻したのだという ジョンの説明を、先生は信じようとせず、「~なんてものは~にはありません」と決 めつける。やがてジョンの歩く道の途中には何もあらわれなくなる。ジョンは学校に 間に合う。その日、先生はゴリラにつかまって天井からジョンに助けを呼ぶが、ジョ ンは「学校にゴリラなんてものはいない」と答え、歩き去って行く。 子どもの内側に流れている時間を、大人がどんなふうに奪っているかを見せつけら れるような作品である。...その出会いの瞬間をひとつひとつどのくらい豊かにつくり だせるかが、子ども時代の幸せとかかわってくる。」
(村中李衣著「絵本を読みあうということ」ぶどう社より)文庫に も置いてあります!
*村中さんは現在、岡山県にあるノートルダム清心女子大学の教授です*
長い引用になりましたが、大人は内側に流れている時間が外側の段取りの世界に押 されて奪われているというのです。絵本をいっしょに読むということによって、私達 大人がいつのまにか無くしてしまったその豊かな時間を取り戻せるのです。
たしかに声に出して読むとき、絵本から受け取るこころの動きを隣にいる人と共有 できます。それが絵本だからこそ素顔の自分にもどっていける...お子さんに読んであ げることはもちろんですが、ご夫婦でも、あなたのご両親といっしょにでも絵本を、 そしてそこに流れるゆったりとしたなつかしい時間をともに味わってみてください。
それからたまには自分でも声に出して、自分のために読んであげてください。黙読するのとはまた違った発見がありますよ。
絵本で共有できた時間は親子の絆を強くします。私には今思春期の息子がいます。 外見的には身長は私を15センチ以上超え、声も太くなり、悪ぶって反抗的な態度をと りますが、彼は幼い頃好きでいつも一緒に読んでいた絵本をときどき読み返しています。「この本母さんにいつも読んでもらったよな。俺、この本大好きだったよ」など と話し始めると、10年の月日を遡り、そのころに一瞬にして戻ることができます。その時のなごやかでなつかしい時間。これがあれば、どんなに反抗的でも彼の成長を信 頼して見守っていられると思うのです。
子どもが外側の時間に支配されるようになるのはあっという間です。幼稚園や学校 に通い始めると、お稽古事や塾に自由な時間がうばわれてしまいます。そうなる前に絵本を通してお子さんとたくさんの時間を共有してほしいなと願っています。
絵本を選ぶということ 1
【2001年に「シンガポール・ポプラ文庫」のサイトに書いた記事より】
文庫には、1才すぎのお子さんから小学生まで、いろいろな年齢の子がやってきま す。ちいさい子はおかあさんといっしょに来て、本棚から絵本を取り出してはおかあ さんに読んでもらったり、小学生はお気に入りの本をみつけるとソファーにこしかけて一心に読みつづけています。
はじめてのお子さんをお持ちのおかあさんにとって一番の関心事は、どの本が子ども にふさわしいかということ。この年齢にはこの本が良いかな?というアドバイスは しています。でもあくまでも参考までに、とつけくわえて。
なぜかというと、絵本の好みはひとりひとりちがっているのですから。文庫では小さ い子対象の本と小学生対象の本を一応目安として色別シールを貼ってわけていますが、子どもが手にとるのはそれとは無関係なことが多いのです。絵本には絵の魅力、 ことばの魅力それぞれあります。文章が長くても絵に惹かれて小さな子が手にとる本 もあります。また幼稚かな?と思われる本に小学生が喜んでいたりもします。その時その時の子どもたちの心の要求にしたがっていろいろな本を手にとってみることをお すすめします。
我家の長男が幼稚園の年少組だった時、くりかえしくりかえし幼稚園から借りてきた本があります。それは「スーホの白い馬」というモンゴル民話の絵本でした。(大塚 勇三/再話・赤羽末吉/画 福音館書店) この絵本はとても優れた本ですが、全体のトーンが暗く、話もかわいそうな内容なので息子にはこちらからは与えたことのない本でした。しかし彼にとってはとても心を 惹かれた本だったのです。表紙の白い馬を抱いたスーホの意思の強そうな表情が良 かったのでしょうか?
その本は1日に何度も何度も読まされました。悪い殿様がスーホの大切にしている白 馬をだましとるところでは手をぎゅっとにぎってくやしがり、その馬が矢に射ぬかれ てもスーホのもとに帰ってきて息絶えてしまうところでは幼い瞳にいつも涙があふれ ました。小学生の国語の教科書に載っているこの物語の主題は親からみて3才の息子にはまだ早いとの判断は、一方的な思いこみでした。この物語を十分に理解できる感受性が彼には育っていたのです。
どの本がその子の心をとらえるかわかりません。この一冊という本に出会うまではたくさんの本をまず手にとってほしいと思います。親が願う本では満足しないかもしれ ませんね。あるいはおやっという感性が育っているかも知れません。一方で絵を見て 食わず嫌いした本もおかあさんが声を出して読んであげると、ことばのリズムに惹か れてお気に入りの一冊になることもあります。だからいろいろな絵本にたくさん出会うことがはじめの一歩でしょうね。
文庫が終わった後、本棚を整理している時にいつも思うのは、人気の高い絵本といつ も本棚に残っている本があるということ...良い本なのになあ~と思うことしきりです。どうしても手に取った印象で選ばれる事が多いので、仕方がないことですよね。 このコーナーでは、あまり人気が無い本でも、実際にはとても良い本を紹介していき たいと思っています。次回をお楽しみに・・・
絵本を選ぶということ2
【2001年に「シンガポール・ポプラ文庫」のサイトに書いた記事より】
文庫に来てくださるお母さん方の一番の関心は、やっぱりどんな絵本を選べばいいかということですよね。「どんな絵本がいいですか?」と、聞いてくださる方には、お子さんの年齢や性別はもちろん普段の様子、どんなものに興味をもっているのかをお聞きしてから、こんな本はどうかしら?とお薦めします。
中には新聞や育児雑誌などの絵本コーナーなどで紹介された本を書き出して「この本ありますか?」と具体的に聞いてくださる方もあります。また、返却の時に、お友達同士で「この本、うちの子にすごく受けたよ」「何度も読まされちゃったのよ。返却するのをしぶるくらい好きになって」「それじゃあ、次借りていこうかな」などど情報交換してくださっている光景にも出会います。
文庫でも、今まで読み聞かせに使ったリストや、8年分の会報に載せた「おすすめ絵本」のリストなどもあるので、この年齢だったらこの絵本をお薦めすれば間違いないかな?というのはあります。
でもやっぱり1でも記したように、どの絵本が子どもも気持ちを捉えるかは、個人差がとても大きいのです。だからとにかく本だなから全部ひっぱりだしてみるくらいのつもりで、いろいろな絵本に出会ってもらえたらいいな~と思います。文庫では、床にどれだけいっぱいひっぱりだしていただいてもかまいません!
文庫では、返却された本をそのまま本棚の上に並べたままのこともあります。今まで出会ったことのない本もぜひ手にしてみてください。
文庫が終わった後、本棚を整理しますが、「この本味わいがあるのにな~」と思う本が、ずーっと動いていないことに気がついたりします。絵本はタイトルや表紙の絵の印象で選ばれていくことが多いのですが、一見目立たない本、かわいらしくない本にも、心にのこる本がたくさんあるのです。
5月のおすすめの絵本で紹介している「ジルベルトとかぜ」(マリー・ホール・エッツ作 たなべいすず訳 冨山房)はベージュの背景に線描で表現され、色使いは茶色と白色だけ。ぱっと見たときは地味なかんじなのですが、とても素敵な絵本です。杉並区にはこの絵本をきっかけに、子どもの本を楽しむ大人のグループ「ジルベルトの会」も誕生し、15年以上活動を続けているほどです。
「ロバのシルベスターとまほうのこいし」(ウィリアム・スタイグ作 せたていじ訳 評論社)は、私個人としては大好きで2冊文庫に置いてあるのですが、やっぱりあまり動かない本です。でも内容は心あたたまるもの。読んでもらった子ども達は、魔法の石のせいで岩になってしまったシルベスターの気持ちを思い、またシルベスターを一生懸命さがす両親の気持ちにこころをドキドキさせて、つづきを聞きたがる事でしょう。先日、シンガポール日本人会で行われた絵本と紙芝居の会主催の「大人のための読み聞かせの会」でも、この絵本を読んでくださいました。聞く立場でもう一度この絵本に出会って、またまたこの本の魅力に感動しました。
やはりとても大好きな絵本なのに、一度も貸出記録の残っていない絵本があります。「アントニーなんかやっつけちゃう」(ジュディス・ヴィオースト文 アーノルド・ローベル絵 文化出版局)という絵本です。いつもぼくをいじめてばかりのおにいちゃんのアントニー。ぼくがおにいちゃんと同じ6才になったら、ぼくはいつもおにいちゃんに「できないだろう」ってバカにされることもできるようになって、そしておにいちゃんに勉強でも水泳でもゲームでも勝って「このやろう ぶっころしてやる」って言ってやるんだ!ぼくはいまはにげるけど、6才になったらぜったい負けないぞ!と強い決意をする男の子の願望を描いているのです。最後のページで兄に勝った自分を思い浮かべて笑っている男の子の表情がすごくいいのです。
兄弟ってほんとに不思議です。いつも身近にいるので、仲良しのようにみえて一番のライバルなんですね。いつもおにいちゃんにいじめられてばかりいる男の子(女の子でも...)にぜひ読んで欲しいな~。
学生時代、絵本を勉強するゼミにいたせいもあってよく本屋さんの絵本コーナーに立ち寄っていました。そのころ「この絵は好きじゃないな...」と思って手にしなかったのに、子育てをするようになって大好きになった絵本作家がいます。それはモーリス・センダックです。世界中で愛されている「かいじゅうたちのいるところ」。我家の子ども達も大好きな絵本ですが、学生時代は読まず嫌いだったのです。
この作家の絵本で「へクター・プロテクターとうみのうえをふねでいったら」(じんぐうてるお訳 冨山房)も、マザーグースの詩を絵本にしたもので、言葉のリズムも楽しいし、絵も味わい深いものがあります。
絵だけの印象で手にしがちな絵本ですが、読んでみてその本の味わいが理解できる事って多いのです。文庫の読み聞かせでも、午前中は2才児が中心なので短くて親しみやすい本が多くなってしまいますが、午後の時間は意図的にあまり手にしてもらえないけれど、味わい深い絵本をたくさん読んでいこうと思っています。
憎しみではなく愛を
【2001年に「シンガポール・ポプラ文庫」のサイトに書いた記事より】
アメリカ同時多発テロ事件に寄せて(2001年9月18日記す)
先週アメリカで起きた連続テロ事件は、想像を絶する自爆テロでありWTCビルに突っ込む飛行機と逃げ惑う人々、崩壊するビルをリアルタイムで目の当たりにし、震撼とさせられた。悪魔の仕業としか思えない...この事件に人間の罪深さ、愚かさを感じ、体中がふるえてとまらなかった。
それからちょうど1週間が経った。瓦礫と化したWTCビル一体の影像をニュースで見聞きし、おびただしい人々がいまだに行方不明だと聞いて、今回のテロ事件の重大さを改めて思う。
文庫の利用者の中にも、肉親がWTCの中で働いていて、まさにあの時、ぎりぎりのところで命からがら助かったという方がいらした。無事がわかるまでの祈る気持ちが痛いほどよくわかる。アメリカが武力で報復すると発言し、各国の同意を得てその準備をはじめており、不安は消える事はない。
インドネシアにもイスラム原理主義の活動家の拠点があり、国内で内乱も起きていることから、シンガポールもあちこちで厳戒態勢ときく。ただ一般的には平常とおりで変わらない感じで、生活が続いてはいるのだが・・・シンガポールも高層ビルがたくさんあるので、金融街では身分チェックが厳しいらしい・・・ため息しかでない。
大学時代に一般教養授業で現代史で中東問題演習をとったが、あまりにも問題の根は深く、歴史的にも何千年もの間にわたっての宗教的な衝突があり、現代でもパレスチナ問題をふくめて、一筋縄ではいかない問題だ。
ほんとうに私達は子ども達に憎しみは新たな憎しみしか生み出さない事を伝えなければならない。みんな違う。だけどそれを認め合って共存することの大切さを伝えなければならない。
日本人学校でいっしょに図書委員をしていて、1学期末に帰国した友人が、最後のお話会の時に子ども達に語った言葉が心に残っている。
「どうして私がこうして図書ボランティアをしているかを伝えますね。それはみんなのお父さんお母さんも同じだとおもうけど、みんなにどんな大人になってほしいかというと、勉強ができるより、スポーツができる事以上に思いやりのある人に育って欲しいと願っていると思うよ。じゃあ思いやりってどんなものだろう?それは自分とはちがう人の立場に立てること、人の思いがわかること。他人の喜びや悲しみが自分のものとして感じられる事。
それには想像力が必要です。想像力は訓練しないと育たない。それは本を読むこと。たくさんのお話をきくこと。
だから私はこうして図書ボランティアをして、みんなにたくさんの本との出会いを作っているのです。
みんなもたくさんの本を読んでほしい。そして本の中だけではなく、周囲の人の思いもわかる思いやりのある人になって欲しいです。」
今こんなに物騒な時代に突入してみて、彼女の言葉をかみしめている。
中東・イスラム問題は理解しがたいとしても、アフガニスタンの国内を伝える影像をみると、緑の殆ど無い険しい山々に覆われた貧しい国であることがわかる。アメリカ大国主義...一国集中の富の集積が、はたして貧しい国々への思いやりをもっていたのだろうか?アフガニスタンや湾岸戦争で経済封鎖されたイラクも一般市民は貧しい生活を強いられている。
激しい貧富の差が恨みを生み出したのだろうか?私達の文明は、民主主義とはいいつつも、富める者はさらに富み、貧しいものはさらに貧しくなるような競争原理に支配されたものだといえるだろう。そこに私達世界で富める国々のものが、今まで思いやりをもった国際政治ができていたのか...?
WTCビルの崩壊を目にしながら、旧約聖書の中のバベルの塔の崩壊を思い出した。神を神とおそれない人類の傲慢さが神の怒りをかってしまったという物語。世界の金融の中心であり、先進国の富の象徴でもあるWTC。
そこに先進国の傲慢さはなかったのだろうか?神を忘れてしまっていたのではないだろうか?愛と許しはそこにあったのだろうか?
アメリカが武力報復をはじめたら、日本は軍隊をもたないとしても、アメリカ軍の中継地として嫌がおうにも、米軍の補給など重要な役割を担うわけで、。東南アジアに散らばるイスラム国との関係の悪化は必然的だ。
一方でアメリカは、日本への原爆や湾岸戦争やコソボ問題でも、空爆により一般市民をたくさん犠牲にしてきた。自国に敵が攻め込む事には敏感なのに、他国への攻撃には無頓着だとの批判もあると聞く。
この夏世間を騒がせた教科書問題ではないけど、一方だけの事情だけでは公正な判断はできないとも感じる。
そのためにも想像力を働かせて、なにが一番大切なことかを、いろいろな角度から見ていくことがたいせつだと思う。
子ども達には命のかけがえのなさ、違いを認め合い、ゆるすことの大切さを、絵本やお話の世界を通して伝えていきたいと思う。
憎しみではなく、愛を・・・報復ではなく、許しを・・・
未来を担う子ども達に、平和な世界を手渡せるように、私達は祈る。
(2002年1月に東京でアフガニスタン復興支援会議も開催された。暫定行政機構も動き出している。各国の支援の概要も決定している。タリバン政権時代に抑圧されてきた文化も再び解放されている。だけど一方で国内の混乱は続き、また一方的に操作されたとみられる報道も多いと聞く。ほんとうにアフガニスタンに平和が訪れるように、祈り、また小さなことからでも支援をしていきたいと思う。 2002年2月9日(ソルトレーク冬季オリンピックの開会式を見ながら記す)
*以上、2001年に「シンガポール ポプラ文庫」のサイトに書いた記事を、2017年春に閉じることになったので、2016年秋から始めた新しい文庫活動の「子どもの本の家ちゅうりっぷ」のサイトにコピペしました。
折しも、2017年1月にはアメリカにトランプ新大統領が誕生しました。これまでグローバル化していた世界が、それぞれ自国の利益を優先する動きに変化していきます。一見、自国の利益を守るという姿勢は正しいようでいて、全ての国がこれを求め始めれば、お互いに利害がぶつかることになるでしょう。どんな時代がこれから待っているのか、とても気になります。
これらの記事を転載しながら、子どもたちに相手の立場を想像できる力を身につけてもらうためには、本を読む体験が大切だと、改めて思います。不読率が少しずつ増えている今こそ、丁寧に子どもたちに本を手渡すことを、倦まず続けていきたいと思います。
(2017年1月23日)